藤が丘校のブログ

何のために勉強するのか?②

2023/03/06

名東区・守山区・長久手市・尾張旭市の皆様こんにちは。

清水屋藤が丘店3Fにある学習塾、明倫ゼミナール藤が丘校です。

 

前回の記事の続きです。

 

件の生徒さんも、まさに「今勉強していることは将来社会に出て使わない」から「無駄」だ、

という主張をされていました。

 

これはある側面から見た時には事実だと思います。

数学の応用問題が解けなくても実生活には不便はないし、子供たちはそれを実感として理解しています。

なにせ、問題が解けなくても日々を楽しく過ごせている訳ですからね。

 

では何故、正確に身に付けていなくても生きていけるものを子供たちに学ばせるのか?というと、

それは皆さんが「本当に身に付ける必要がある何かと出会った時に、

ゼロからでも新しい知識を身に付けられるようにするため」だと思います。

つまり、学校の勉強を通して、皆さんは他のすべての物事に応用できる"学び方"を勉強している。

 

言ってしまえば、今実際に学んでいるもの以上に、それが入っている器の方が大切である、というのが僕の考えです。

世の大人たちはその器に、かつては学校で身に付けた種々の学問を、

そして今は自分たちが働くうえで必要な知識・考え方を入れて保管している。

そのせいで、一見すると学校の勉強は役に立っていないように見えるわけです。

実際はその器が出来ていなければ、新しいことを始めることなど出来ないというのに、です。

 

裏を返せば、頑張るべき時に正しく器を作ってこなかった方は、

器が少しいびつであったり(=身に付けられる知識・理解に偏りがあったり)、

器そのものが少し小さくなったり(=新しく学んだものを身に付けるのが難しかったり)、

本当に必要になった時にとても悔しい思いをすることになります。

 

だから、世の大人はこういった実感のすべてを「勉強しなさい」という一言に込めている訳ですね。

 

それでも今目の前の勉強に意義を見出せないのなら、本気で取り組めるものを是非見つけて下さい。

自分の人生を掛けても良いと思えるものを見つけているなら、必ずしも勉強はしなくても良いでしょう。

ただ、そうではなく、何となく面倒くさかったり、やりたくないから、という理由であれば、

それは逃げてはいけない部分だと思います。

 

大器は晩成す、と言いますが、皆さんの器が少しでも大きく・美しいものになるように頑張りたいですね。

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