大曲校のブログ

第二次世界大戦前後の重要ポイント

2022/06/22

(※長いのでお気をつけください。)
本日は第二次世界大戦前後の歴史についてです。
そうは言っても、すべてを書こうとすると教科書8ページ分にもなるので、
今回は日本から見た大戦流れを重点的に確認し、
ポイントをおさえた形で年号順に説明していきます。

↓↓↓↓↓↓ 苦手な子は何度も読んでみてね!

・1937年7月

「日中戦争」が始まる
→長期化
→日本政府は軍部の要求で軍事費を増やし戦時体制を整える
→1938年、「国家総動員法」が制定=労働力や物資を戦争に動員
→1940年には総力戦のために政党は「大政翼賛会」に合流
⇒その他、生活必需品の切符制、軍国主義的な教育など、戦時体制を強化していく

・1939年9月
ドイツのポーランド侵攻をきっかけに「第二次世界大戦」が始まる
(当初はドイツがイギリス・フランスなどに対して優勢だった)
日本...仏、蘭などの植民地である東南アジア方面に武力による進軍を開始


・1940年9月
日本、ドイツ・イタリアで「日独伊三国同盟」(ファシズムの国々)

・1941年4月

日本とソ連で「日ソ中立条約」→日本は北方の安全を確保、さらに進軍
※日本は「大東亜共栄圏」(日本指導の下、欧米の植民地支配を打破し、
アジアの民族だけで繁栄しよう、という主張)の建設を唱える


・1941年4月
悪化していた日米関係から戦争を避けるため日米交渉
アメリカ...侵略的な行動をやめない日本に対し石油輸出禁止
→イギリスやオランダも同調=ABCD包囲陣
※A=アメリカ(America)、B=イギリス(Britain)、
C=中国(China)、D=オランダ(Dutch)
日本...中国やフランス領インドシナからの撤兵などの要求を飲まず
⇒東条英機内閣と軍部はアメリカとの戦争を最終決定

・1941年12月8日

日本軍が真珠湾を奇襲、同時にイギリス領マレー半島に上陸
「太平洋戦争」が始まる
⇒日独伊などの枢軸国vs米英ソ中などの連合国で
第二次世界大戦が世界規模の戦争に拡大


・1942年6月
日本軍、ミッドウェー海戦で敗北→攻勢が止まる⇒太平洋戦争が長期戦となる


・1943年
2月にソ連がドイツを破り、9月にはアメリカ・イギリスがイタリアを降伏させる
・1943年~の日本について
1943年2月、ガダルカナル島で敗北→後退を重ねる
1944年7月、サイパン島が陥落→東条内閣が退陣
⇒勝利の見通しがたたない状況でも戦争継続
1945年3月、「東京大空襲」・「沖縄戦」→民間人の犠牲者が増大
1945年7月、連合国がポツダム宣言を発表、日本に無条件降伏を求める
→日本はすぐには受け入れず
⇒1945年8月6日に広島、同年8月9日に長崎に
アメリカが「原子爆弾(原爆)」を投下、
同年8月8日、ソ連が「ヤルタ会談」(米英ソ)
での秘密協定に基づき宣戦布告
→満州・朝鮮・千島列島などに侵攻(現在の北方領土の占領)
1945年8月14日、日本はポツダム宣言を受け入れ降伏を決定、
翌15日に昭和天皇がラジオ放送(玉音放送)で国民に知らせる
⇒第二次世界大戦が終戦

長いですが、
歴史は単なる暗記をするのではなく、
流れや背景を踏まえておかなければなりません!
一つ一つをじっくり確認していきましょう!

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