出水駅前校のブログ
2020/10/29
出水市、阿久根市、水俣市、北薩地方にお住まいのみなさんこんにちは!
自分でできた!に導く塾のナビ個別指導学院出水駅前校です!!
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「テセウスの船」というものをご存じでしょうか?
これはギリシャ神話から生まれた一つの問題(パラドックス)であり、「同一性」というものを考えるうえでの難問の一つです。
ギリシャ神話の英雄・テセウスがクレタ島から帰還した際、アテネの人々はこの船を後世に残すようにした。
すなわち、船の老朽化したパーツを一つずつ交換していったのである。
果たしてこの交換作業は順調に進み、全てのパーツは交換された。――つまり、元々のパーツは全て無くなってしまった。
今ここにあるテセウスの船は、船体全てが交換済の新しいパーツによって構成されている。
さて、この「新しい船」は最初の「テセウスの船」と「同一」であるといえるか?
この例えでは「船」が用いられましたが、ほかにも様々なものでこの考え方は用いられています。
例えば、結成時のメンバーが全て抜けたバンドやアイドルグループ。
例えば、パーツ交換を繰り返したパソコン。
例えば、長い年月をかけて社員が総入れ替えした企業。
例えば、老舗料理店の秘伝のスープ。
繰り返し修理・改修・継ぎ足しが行われ、初期の状態を形成するものが無くなった「それ」は、果たして「同一」といえるのでしょうか?
もっと身近な例で考えてみましょう。私たち自身の体です。
細胞は常に誕生と死を繰り返しています。長い年月を経た今の「私」を形成する細胞は、もはや過去の「私」とは全く違うものになっています。
それでも過去の「私」と今の「私」は真の意味で「同一」といえるでしょうか?
「私」は本当に「私」なのでしょうか?
「私」はなぜ「私」であるといえるのでしょうか?
そもそも「同一」とはどのような状態を指すのでしょうか?
今の「私」が過去の「私」と同一であるという感覚は、「私」自身の記憶や経験によるものです。
であるならば、仮に記憶や経験さえもコピーすることができれば、「私」が複数存在することとなるでしょうか?
記憶とは何か?経験とは何か?意識は人間のどこに存在するのか?
何をもってして過去の「私」は今の「私」と同一の存在といえるのか?
私達という「船」はどこから来て、どこへ向かっていくのか。
その航海の答えは、未だ解決できずにいます。
ナビではその子に合わせて授業をご提案させていただきます。
期末テストまでは短いのでお早めに!!
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