薩摩川内校のブログ

「私」は「私」であるか? ―テセウスの船と同一性―

2020/10/28

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「テセウスの船」というものをご存じでしょうか?

これはギリシャ神話から生まれた一つの問題(パラドックス)であり、「同一性」というものを考えるうえでの難問の一つです。


ギリシャ神話の英雄・テセウスがクレタ島から帰還した際、アテネの人々はこの船を後世に残すようにした。

すなわち、船の老朽化したパーツを一つずつ交換していったのである。

果たしてこの交換作業は順調に進み、全てのパーツは交換された。――つまり、元々のパーツは全て無くなってしまった。

今ここにあるテセウスの船は、船体全てが交換済の新しいパーツによって構成されている。

さて、この「新しい船」は最初の「テセウスの船」と「同一」であるといえるか?


この例えでは「船」が用いられましたが、ほかにも様々なものでこの考え方は用いられています。

例えば、結成時のメンバーが全て抜けたバンドやアイドルグループ。

例えば、パーツ交換を繰り返したパソコン。

例えば、長い年月をかけて社員が総入れ替えした企業。

例えば、老舗料理店の秘伝のスープ。

繰り返し修理・改修・継ぎ足しが行われ、初期の状態を形成するものが無くなった「それ」は、果たして「同一」といえるのでしょうか?



もっと身近な例で考えてみましょう。私たち自身の体です。

細胞は常に誕生と死を繰り返しています。長い年月を経た今の「私」を形成する細胞は、もはや過去の「私」とは全く違うものになっています。

それでも過去の「私」と今の「私」は真の意味で「同一」といえるでしょうか?

「私」は本当に「私」なのでしょうか?

「私」はなぜ「私」であるといえるのでしょうか?

そもそも「同一」とはどのような状態を指すのでしょうか?


今の「私」が過去の「私」と同一であるという感覚は、「私」自身の記憶や経験によるものです。

であるならば、仮に記憶や経験さえもコピーすることができれば、「私」が複数存在することとなるでしょうか?

記憶とは何か?経験とは何か?意識は人間のどこに存在するのか?

何をもってして過去の「私」は今の「私」と同一の存在といえるのか?



私達という「船」はどこから来て、どこへ向かっていくのか。

その航海の答えは、未だ解決できずにいます。


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