西大路校のブログ

大塩平八郎の乱!

2016/10/25

西大路・下京区・南区・右京区の皆さん、こんにちは!
教室長の松田です。


昨日、天気が良いので久々に大阪の史跡巡りをしてきました。
「大塩平八郎の乱」が今回のテーマです。


大塩平八郎の乱・・・江戸時代、天保の大飢饉が起き、
米不足のため多くの人が亡くなりました。
京都・大阪でも飢えに苦しむ人達が
町にあふれていたにもかかわらず、
大阪の役人達は米を江戸に送り続けました。

「こんな大変な時でも将軍家の事を考えているのか、
えらい!」と誉めてもらいたかったんでしょうか?

それを見た元役人の大塩平八郎は、自分の持っていた
本5万冊を売り、町の飢えている人々に食料を配りました。
その間にも江戸に大阪の現状を知らせる手紙を送ったのですが江戸には届かず、
平八郎のお金も底をつき、1837年反乱を起こしました。

本が無くなったので謀反(無本)を起こしたのでしょうか?
(すみません!)

反乱は半日で鎮圧されたのですが、元役人が
謀反を起こした事で、幕府に不満を持つ人々に
衝撃を与えました。


大塩平八郎のお墓のある成正寺は工事中でしたが、
お墓は見ることが出来ました。
本来のお墓は大阪空襲で破壊されたため、
お寺の入口すぐに共に戦った養子の格之助と並んだ
新しいお墓でした。

次に向かったのが大塩平八郎の開いた洗心洞という私塾の跡。
残念ながら今は造幣局の官舎になっており、
見ることは出来ませんでした。
ただ、すぐ近くに「大塩の乱・槐(えんじゅ)跡の碑」
という石碑を見つけました。
乱の時、大砲の砲撃を受け、裂けた木の有った場所だそうです。
洗心洞とも近く、この辺りが反乱の舞台であったことを教えくれます。

その後、大塩家の菩提寺や大阪天満宮を周り、
史跡巡りが終了しました。
今まで教科書の人だった大塩平八郎が
どう考えどう行動したのか、
実際歩いてわかった気がします。

イヤミな役人に、平八郎謀反を起こす!

(1837年)

歴史の教科書にはたくさんの人々が出てきます。

それぞれの人の人生を知れば、
歴史ももっと身近に感じられます。
史跡巡りは歴史上の人物のイメージを作るのにもってこい。
京都は史跡の宝庫です。
勉強の合間にちょっと歩いて見ませんか?

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