西大路校のブログ

飛鳥~石舞台・天武・持統天皇陵編

2016/12/15

西大路・下京区・南区・右京区の皆さん、こんにちは!
教室長の松田です。


飛鳥散策も最終回です。
「藤原京の聖なるライン」に沿って、
天武・持統天皇陵を目指します。


その前にちょっと寄り道。


石舞台に向かいました。
石舞台古墳は、皆さんも写真などで見たことは有りますよね。
2300トンの巨石で作られた方墳は、蘇我馬子の墓ではないか、
と言われています。
推古天皇・聖徳太子らと仏教中心の国家を
造ろうとした蘇我馬子
石舞台古墳は、馬子の権力をそのまま表したように
力強くたたずんでいました。


近くの食堂で熱々の雑炊をいただいて、
最後に向かったのが天武・持統天皇陵です。


天武天皇天智天皇の弟です。
大海人皇子と呼ばれている頃、死を悟った兄の
天智天皇に呼ばれ、「私の後はお前に政治を任せたい。」
と言われます。
この言葉を罠と考えた大海人皇子は、
「兄上には大友皇子という立派な息子がおられます。」
と申し出を断ります。
ここで天智天皇の言葉に同調すると、大友皇子に
皇位を譲りたい、天智天皇に殺されると思ったからです。
言葉通り、大海人皇子は出家して吉野に入ります。
その後岐阜にわたった大海人皇子は、そこから挙兵し、
大友皇子と雌雄を決します。(壬申の乱)
戦いに勝った大海人皇子は天皇に即位し、天武天皇となるのです。


妻の持統天皇と共にまつられた天武天皇陵は、
高松塚古墳から少し離れた場所に有ります。


他の古墳と比べるとひっそりとしており、多少の寂しさを感じます。
階段を登りきると、石造りの鳥居が出迎えてくれました。
それまでの古墳と違い、見学者が少ない事が
陵墓としての本来の姿を表しているように感じました。


飛鳥散策を通じて、日本の歴史の奥深さに、
改めて気付かされ、また歴史が好きになりました。


京都という歴史の宝庫に住む皆さんも、
他の地域の歴史にも、興味を持って下さいね。

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