西大路校のブログ

蔵屋敷を歩く

2017/01/24

西大路・下京区・南区・右京区の皆さん、こんにちは!
教室長の松田です。


昨日、用事のついでに大阪、中之島周辺を散策しました。
江戸時代に江戸・京と並んで「三都」と呼ばれた大坂。
政治の中心である江戸、生産の中心である京。
そして経済の中心である大坂。
「天下の台所」として日本全国の物資が集められ、
大坂から各地域に運ばれていきました。
江戸時代当時は、大量の物資は船で運ばれていたため、
大坂にはたくさんの水路が造られ、
「水の都」とも言われていました。


堂島川沿いを歩いていると、
「蔵屋敷跡」という石碑が有りました。
今はホテルの片隅にひっそりと建っていますが、
最盛期には100以上もの各藩の蔵屋敷が
この辺りに建ち並んでいました。
周りは高層ビルばかりで、昔をしの面影は有りません。
しかし、目の前の堂島川が、ここが水運で栄えた町で有った事を
教えてくれます。


堂島川を南に渡り、東に進んで行くと、「中津藩蔵屋敷の跡」
という石碑が出てきました。
中津藩は、今の大分県。
100以上有る蔵屋敷のひとつです。
ただ、目を引いたのはその横の石碑。
そこには「福沢諭吉誕生地」と有りました。


今は1万円札の肖像として有名な福沢諭吉。
彼は大坂の中津藩の蔵屋敷に産まれました。
1歳8ヶ月の時に父親が急死。
その為、母に連れられ中津へと戻ります。
そこで儒学を学んだ諭吉は、江戸に向かう途中この蔵屋敷に寄ります。
この時、兄に適塾を紹介されて
再び大坂に住むことになります。


福沢諭吉誕生地は「ほたるまち」と呼ばれる一角に有ります。
すぐ後ろは朝日放送の本社ビル。
「探偵ナイトスクープ」が収録されている所です。
左の石碑に「学問のすすめ」の有名な一節が刻まれています。
「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ
人ノ下ニ人ヲ造ラズ」
大坂は商人中心の町人の町。
権威に頼らない自由な町でした。
その自由な土地柄が、諭吉に「学問のすすめ」を書かせ、
慶應義塾大学を創らせたのでしょうか?


福沢諭吉誕生地から少し離れた中央区に、福沢諭吉と共に
アメリカに渡った勝海舟の寓居跡が有りますが、
今回のテーマ、蔵屋敷からは離れるので、また次回に。
大坂歴史散歩、まだまだ楽しめそうです。


教科書では難しく思える歴史も、史跡を巡る事で
身近に感じる事が出来ます。
特に京都は歴史の宝庫。
皆さんも生の歴史を感じに出掛けましょう!


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