西大路校のブログ

舞鶴~京都のもう一つの歴史

2017/04/18

西大路・下京区・南区・右京区の皆さん、こんにちは!
教室長の松田です。


夏のように暑かった日曜日、20年振りに舞鶴に行って来ました。


松田の趣味は読書と旅行。
特に旅行は、山・城・温泉が大好きなのですが、
プラス「太平洋戦争」を巡る旅もテーマの一つでした。


真珠湾・シンガポール・グアム・サイパン・沖縄・広島・長崎
とまわり、ぜひとも行っておきたかったのがここ、
舞鶴の「舞鶴市引揚記念館」だったのです。


1945年、第二次世界大戦が終結し、大陸(満州・朝鮮半島)や
太平洋の島々に取り残された約660万人の日本人を、
日本に帰国させなければならなくなりました。
これが引き揚げです。


舞鶴は主に満州や朝鮮半島、シベリア抑留の方々を
迎える港になりました。
昭和20年から33年迄の13年間、舞鶴だけで66万人の
引き揚げ者・復員兵を迎え入れたといいます。
その後、戦争の悲惨さを後世に伝えるために作られたのが
「舞鶴市引揚記念館」なのです。


他の用事が有ったため、早朝に向かった舞鶴は、
赤レンガパークでイベントを行っていたためか、
想像以上の混雑ぶりでした。
しかし、混雑も赤レンガパーク周辺のみ。
記念館の有る引揚記念公園は車も少なく、スムーズに
駐車することが出来ました。


記念館は、特にシベリア抑留についての資料が豊富でした。


終戦間際にソ連が日本領に侵攻し、シベリア開発の為に
60万人以上の日本人が連行されました。
-30度の過酷な強制労働により、6万人以上の方が
亡くなられたとも言われています。


記念館には兵舎の様子も再現され、極限状態での
生活であったことがうかがい知れます。
いつ帰国出来るのか、いつまで生きることが出来るのか?
辛い抑留者達が、生きて日本に帰って来た時、
その第一歩を踏み入れたのが舞鶴だったのです。


記念館を出て小高い丘を登ると、見えて来るのが展望広場。
晴天という事もあり、記念館とは対照的に明るい
風光明媚な場所でした。
展望台から眺めると、山々や湾と共に、当時の桟橋跡も
見ることが出来、一見の価値が有ります。


記念館に収蔵された資料は、2015年、ユネスコの
世界記憶遺産に登録されました。
歴史の宝庫京都。
この様な歴史も語り継いでいかなければいけないと、
思った1日でした。


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