西大路校のブログ

永井隆博士

2017/08/09

西大路・下京区・南区・右京区の皆さん、こんにちは!
教室長の松田です。


歴史が好きな松田は、よく「尊敬する歴史上の人物は?」と聞かれます。
その時に答えるのが、
勝海舟永井隆です。
勝海舟の「胆力」永井隆の「博愛」
しかし勝海舟は有名ですが、永井隆は意外と知られていません。

永井隆博士
長崎医科大学で医者をしていた彼は、1945年8月9日37歳の時に被爆します
妻を失い、自身も放射能のため余命3年と診断されたにもかかわらず、被爆者を救うために医療活動を続けた彼は翌1946年、病状が悪化し寝たきりとなります。


その後、体を動かせない永井は執筆活動で平和を訴えていきました。
「長崎の鐘」「この子を残して」等、科学者らしく冷静に、しかし熱く平和を説くこれらの作品は、今も原爆の恐ろしさと平和の大切さを教えてくれます。


1948年、彼の姿に感銘を受けた浦上の人々やカトリック教会から、療養するための庵が送られます。


「如己堂(にょこどう」と名づけられました。
「己を愛するが如く隣人を愛せ」という聖書の一節からとった如己堂は、木で造られたたった2畳の小さな建物です。(写真下)


この小さな建物に来日中だったヘレン・ケラーが予告無しに見舞いに訪れました。
15分程の短い見舞いでしたが、目が不自由なのにもかかわらず手探りで永井の手を探しだし、しっかりと握り締めたそうです。


永井博士は平和を訴えながら1951年、43歳で亡くなります。


墓は石碑ではなく、石板として地面に置かれています。
「私は人に見上げられるような人物ではありません。亡くなった時には人の下に居るよう、地面に名を刻んで下さい。」
という永井の言葉に従ったものです。

今日は8月9日、長崎に原爆が落とされた日です。

皆さんも、今日を平和について考える日にしてみませんか?

<お知らせ>

明日、8/10~8/14までは夏期休業

8/15~16中2・3生夏期合宿のため、

通常授業・講習会授業はお休みとさせていただきます。

自習室のご利用もできませんので、ご了承ください。

通常授業8/17(木)から再開いたします。

西大路校トップへ戻る

PageTop