西大路校のブログ

鬼ノ城

2017/08/18

西大路・下京区・南区・右京区の皆さん、こんにちは!
教室長の松田です。


夏休みももうラスト1週間。
皆さん、学校の宿題は終わりましたか?


昨日からナビも授業再開しました。


「俺、おばあちゃんの所の海に行っててん。」
真っ黒に日焼けしているAくん。


「親戚と一緒に浦安行ってた。」
『浦安』と呼ぶのが通っぽく、格好いいBさん。


「ひたすら勉強。受験生やからなあ。」
合宿にも参加してくれてたCくん。


皆さん、思い思いの夏を楽しんでいたようです。


松田は恒例の城巡り。
今回は岡山・広島の城を6城観てきました。


宇喜多秀家の居城岡山城。
秀吉の水攻めで有名な備中高松城跡。
現存12天守閣の一つ備中松山城。
桜の名所としても名高い津山城。
外様大名の抑えとして造られた福山城。
そして・・・名前が不気味な鬼ノ城です。


鬼ノ城(きのじょう)?
歴史好きの方以外ではほとんど知られてないのではないでしょうか
この鬼ノ城、築城は7世紀後半。
白村江の戦いで唐・新羅の連合軍に敗れた大和朝廷が、防衛の為に建てた城の一つだと言われています。


倉敷から車で一時間弱。
片道通行の狭い山道を走っていくと鬼ノ城ビジターセンターが見えて来ます。


綺麗に整備された駐車場に車を置き、ビジターセンターで城の歴史を勉強したあと、いよいよ鬼ノ城に向けて出発です。


山道を歩くこと10分程で鬼ノ城が見えてきました。


復元された鬼ノ城は朝鮮風の装飾をされ、我々が思い描く「日本の城」とは異質な姿をしています。
この時代にはまだ天守閣は無いのですが、城門・水門・水のみ場・倉庫等、城としての機能は備えています。


城門をくぐると、すぐ左に展望台がありました。
周りをぐるっと見渡すと、改めてこの城が山城であることを実感します。


朝鮮半島から遠く離れた山の中に、これだけの城を造らせた大和朝廷。
当時の人々がどれだけ唐からの追撃を恐れたのかがよくわかりました。


歴史は人々の生活の記録です。
その場所に立つことで、教科書だけではわからない事も見えて来ます。
ブログに何度も書きましたが、京都は歴史の宝庫
夏休みを利用して身近な歴史散歩、皆さんもしてみませんか?

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